2013/10/01

コイスルオトメ 1

※注意 このカップリングは王道でもシャルマリでもありません♪
募る思いを打ち明けた   大きくうなづいてくれた

初めて握る左手は    あたしよりもふるえていた


その瞬間、いつかどこかで耳にした歌がふいによみがえって、あまりのまんまさ、ベタさに自分で驚いて、思わず吹き出した。


あたしが笑ったことに気づいたやつは、いまいましげに眉をしかめて、精悍な頬が赤く染まるのを隠すようにちょっと早足になって、あたしから顔を背けた。

バレバレだっつーの。

少し前を歩くあいつに引っ張られた左手から、本当に震えが伝わってきて、あたしがそれをからかうと

「おまえの指は、天下無双の宝だろ。―――震えもする」

ぶっきらぼうに小さくこぼれた言葉は、ぴんと張り詰めた冷たい空気すら溶かすくらいの熱を持って、あたしの耳に届く。
今でも、その熱さと音が忘れられない。
その熱が喉に引っかかって、情けないことにあたしは、すぐにしゃべることが出来なかったんだ。



「……天下無双って、武士かよ」

「二つとないものの意味だ。間違ってはいない」





ちぇ、ロマンティックじゃないねぇ。

こんな色気もソッケない言葉に感じるなんて、あたしゃニヒリストを返上しなきゃならんのかもしれない。
治したはずの心臓が、トッカータだ。あのフランス人、ちゃんとメンテしてんのかよ。
早鐘みたいな鼓動が、痛くてしょうがないじゃないか。





見上げた空はカラリと晴れて、切れるような寒風が変ロ短調で、吹き荒んでいた。

こうして長い時間ののち、やっと動き出したはずのあたしの恋は、てんで色気がなかったのさ。














「よ、甲府のバカ様。良い酒が手に入ったんだ、また飲み比べしようぜ」

「……誰が馬鹿だ。
そんな世迷い言は、その心臓が完全に治ってから言うんだな。この弾上藤一郎宗景静香、逃げも隠れもせん。いつでも受けて立ってやる」



欧州のコンサートツアーからやっと帰ってきたってのに、恋人に再会のハグもなしかよ。
いきなりのカウンターパンチ。
顔が映りそうなほどに磨きこまれただだっ広い松材の縁側に、空港から直行した荷物を放り投げて、面白くないあたしは、無造作にそこに腰掛けた。
タイミングが悪かった。
朝夕の稽古にぶち当たると、こいつの神経は更に武士になっちまう。
でも重圧を抱えるこいつの、唯一のリフレッシュになってる儀式なんだってことを知っている身としては、そうそう邪魔は出来ない。あたしだって音を追っている時に煩わされることが、一番嫌いだ。
相変わらずの仏頂面で、国定公園みたいな日本庭園の玉砂利の上、目の前の男は構えをとる。清流のように涼やかでたおやか、時を経た巨石のように揺るぎなく。
その姿勢は、武道なんかてんで素人のあたしにだって、そら恐ろしくなるほど見事だということがわかる。
ぶ厚い木綿の胴着の袖から突き出たたくましい腕。そこに浮き上がる血管に、あいつの熱い血が流れてる。

ギュッと握りしめられてる木刀に、ちょっと苛立つ。

ちぇ、いいよなお前は。そんなにギュウギュウ握られてさ、……あたしには、一度だってしてやくれない。
壊れモン扱うみたいに、いつもおっかなびっくり。はん、まったくつまらん。
どうしてもこぼれちまうため息を、お前は責められないぜ、このバカ様が。
あたしは、あいつの手の中で空気を切り裂くその切っ先を、じっとりと見た。
知り合ってだいぶ経つけど、こいつは毎日毎日を鍛えぬいて、自分の成長にまったく手を抜かない。あたしと、まるで正反対。
たまに息苦しくなることもある。こいつが真っ直ぐすぎて、曲がった自分が後暗く感じたり。
でも、たぶん、これがこいつなりの自分の支え方なのかもしれない。ぴんと張ってないと、生きれない場所に身を置く者の矜持。
疲れないのか。
心配にもなるけど、氷の張るようなこの寒空の下、胴着に袴履き、おまけに裸足で木刀を振るような奴は、やはりバカ以外の何者でもないと、毛皮の襟元を合わせながらあたしは納得した。

うん、そう。バカなんだろうな、色々と。

こみあげる笑いをこらえきれなくて、くっくと笑いながら、あたしは組んだ足に片肘を置き、頬杖をついて、その愛すべきバカの横顔を、じっと見つめていた。
いつもどこかを睨みつけるように、挑むように、常にこいつはどこかを見据えている。
自分の不自由な立ち位置、背負うべき運命の重さ、過去の傷。
それにすら目を背ける素振りなく、馬鹿正直に向き合っている横顔が、あんまりにも眩しくて―――好きだった。
と、まるで巨悪を倒さんばかりの気迫で打ち込みながら、あたしに目をやることなく、ふいに口を開く。

「何を笑っている」

チャンス到来とばかり、あたしは、座ったまま組んだ足をほどき、あいつに向かって、ぐんと両手を広げた。

「ん」

「なんだ」

「おかえりのハグは?」

「っ、……こ、ここは、日本だ」

唐突に乱れた息を必死に整えながらも、精神統一を乱すまいと、まだ打ち込みを止めない。
くっそ、これならどうだ。
あたしは、両手を下ろして、少し顎をあげた。



「じゃあ、キス」



直後、打ち下ろそうとしていた木刀が、すぽーんとスッポ抜けて、どこかへぶっ飛んで派手な音をたてた。多分なんかをぶっ壊したに違いない。
あーあ、また蘭子ちゃんに怒られそうだ。

「なっ、だ、だからっ、日本だと、言っているだろう!」

真っ赤になった精悍な顔を、上げた胴着の片腕で隠して、あいつはむせ込んだ。
やっとこっち見やがった。フン、いい気味だぜ。
やがて苦虫を噛み潰したような顔で、綺麗に切りそろえられた短髪頭をガリガリとかきむしりながら、あたしの方に歩いてくる。
「なんだよ、まだ途中だろ」
「今日は気分がのらん。いいから座敷に上がれ、……身体に障るぞ」
縁側へ上がり、散らばったあたしの荷物を手早く片付けて、10間もある障子戸の一枚を開け放つ。
なんだ、ちょっとは心配してくれてんのか。
立ち上がって、隅々まで手入れされた日本間へ入ると、いつも敷き直してるのかと思えるような新品の井草の香りが、あたしを取りまく。
それを胸一杯に、吸い込む。
この環境で育ったわけでもないのに、なぜか懐かしく、気持ちが凪ぐんだ。ああ、帰ってきたなって。

やがて背後で、音もなく閉まる障子の気配を感じて振り返った直後、ふいに顎をつままれ、強引に上向かされる。



驚いてのもうとした息は、次の瞬間、あいつの冷えた精悍な唇に、奪われていた。



「―――おかえり」



かわりに、あり得ないほど低く艶やかな響きが、あたしの唇に流れ込む。


その忍びやかに行われた行為はひどく淫靡で、

微かに交じる熱い吐息は、

百花の王、牡丹の花弁のように滴るような色香を漂わせた。


この武骨な男は、時に危険な豹変をするということを、あたしとしたことが、うっかり忘れちまっていたんだ。




その毒にあてられたのか、全身に甘い痺れが駆け抜け、触れてもいないのに、あいつの熱やたぎる血を感じて、瞬間あたしの身体は、呪いでもかかったかのように硬直しちまった。

「着替えてくる」

そんなあたしを残して、あいつはまるで隙のない所作できびすを返すと、音もなく次の間に消えた。

意図せずそれを見送り、寄りかからずにはいられなかった障子を頼って、あたしはその場に、ずるずると座りこんじまった。


なんだ、あれ。バカやろう。

お前のほうが、よっぽど身体にワルイぜ。



顔が火照るのは、まがまがしく座敷に差し込んだ、黄昏時の夕日のせいに―――違いない。














そよと吹き渡る風は、典雅で明朗な嬰ハ長調だったうららかな春。



あたしは一人、古傷から溢れ出る血を振りまくように、一心にある曲を弾いていた。

師匠のツルの一声じゃ、どうしたって逆らいようがない。
一音紡ぐごとに、鮮明に蘇る思い出たちに責め立てられるように、あたしは狂ったようにのめりこんで、そいつを弾いた。
まさに「あの時」の、命をやり取りするような心持ちになりながら……、それでも精一杯の愛を注ぎ込んだことを、証明するように。



―――地鳴りのような怒涛の拍手を浴びた時、あたしはもう失神寸前で、倒れこむようにステージを後にした。



顔見知りの会場スタッフに楽屋に運び込まれた時、もう意識は朦朧、全身冷や汗ととてつもない疲労感に見舞われて、息も絶え絶えになっちまっていた。
幸い、鎖骨は無事らしいけど、10代の時患っていた狭心症の症状みたいに、相撲取りが乗っかってんのかと錯覚するほど、全身がきしんでいる。
こんな羽目になるのは、久々だった。
あれからだいぶ年くって、大抵のことにも慣れ、ふてぶてしくなったと思ってたのに。バランスを崩しちまった。想像はついていたけど、やっぱりこの曲はあたしにゃ鬼門だ。

ぐったりとソファーに身体を預け、荒い呼吸を繰り返してると、今度は―――瀬木さんの断末魔の叫びが、頭の中で鳴り響いた。
同時に、一語一句忘れていない兄貴からの手紙の文言が、間欠泉のように噴き出す。

たまらず、耳をふさぐ。

愛が、怖い。

あたしは、どれだけの業を引きずって、のうのうと生きてるんだろう。
自分への絶望と、様々な喪失の悲哀が襲いかかり、あたしを足先から食らっていく。
いっそこのまま。何度思ったことだろう―――苦しい、苦しくて、バラバラになりそうだ!

「身体が冷えるぞ、響谷、汗を拭け」

あまりに無遠慮に踏み込んできたその声に、あたしの苛立ちと不安は最高潮に達した。
当然その矛先は、そいつに全て向けられる。
ゆらりと目を上げ、ねめつけるようにきつい視線を投げる。
「……全力でやった、もう指一本、動かせないね」
「子供みたいだな」
ムカッ
あたしが今どんな気分を味わってるのかなんて、想像もしてないような呑気さで、こいつは小さく笑ってそう言いながら、大きな身をあたしの脇にかがめた。
無骨な手先に似合わない繊細な動きで、あたしの汗をタオルで拭っていく。
だいたいなんであたしゃ、こんな武士を選んじまったんだ?
ろくな気遣いもしやがらない、そう、あたしの世界にはまるで無関係なこいつを。
今思えば、完全に八つ当たりだ。
だがあたしは、暴走する凶悪な気持ちが、抑えられなかった。

「ああ、そうだよ。子供で結構。
だから、たまには誉めてくれてもいいだろ! ……頭を撫でて、頑張ったな、くらい」

「兄貴のようにか」



心臓が、凍るかと思った。

次の瞬間、傷から溢れ出たどす黒いものが、あたしに力を与え、身体を動かした。
ガバリと起き上がり、涼しい顔で黙々と手を動かすこいつから、すかさずタオルをむしり取って投げ捨て、毒を吐くように、腹の底から言葉を押し出す。

「おまえは、知らないんだ」

怒りなのか哀しみなのか、いや、自分の何かとても柔らかかった大事な部分を踏み荒らされたように感じて、震えが止まらなかった。

「あたしが、どんな思いであの曲を弾き上げたか、どんな目にあって、あの曲と向かい合ったか……!」

「知ってる」

突然ものすごい力で両肩をつまかれ、暴れるあたしを、あっさりと抑えこんだ。



「全部、知ってる」



こいつの振るう日本刀みたいな鋭さで放たれた言葉に、あたしは、バッサリやられた。
切れ長で恐ろしいほど澄んだ瞳に、真正面からまっすぐに見つめられる。
その目の中には愛におびえ、混乱するあたしの弱い姿がありありと写し出されていた。
置いていかれた迷子が、より所を求めて無様に喘ぐ顔が。
強いおまえにだけは、こんなあたしを見られたくない!
ギュッと目を閉じた次の瞬間、あたしは強く引き寄せられ、飛び込むようにやつの胸の中におさまっていた。
ごつごつとした広い胸板に、叩きつけられるようにぶつかって、あたしは一瞬息がつまった。
なんてぇバカ力だ、濡れ場のたんびにケガなんて、笑い話にもならん。か弱いあたしをなんだと思ってやがるんだ、こいつは。
その痛みに文句をつけていると、恐怖に硬直した身体から、力がふうっと抜けるのがわかった。
まるで男同士、友情を確かめ合うような暑っ苦しい武骨なハグが、あまりにこいつらしくて、なんだかふいに、―――涙がでた。
それに気づいて一瞬ひるんだようだったけど、あたしの肩越しに隠れて深呼吸をするのがわかって、あたしはますます泣けた。
こいつの腕と胸が、あまりにも広くてあったかくて、どんな嵐にも揺るがない、大木のような頼もしさが、寄る辺なくフラフラ漂う小舟のようなあたしを、しっかりつなぎ止め、憩わせる。
「……っ、ふ、っ」
慰めるようにだんだんと強くなるハグ。
ぎこちなく、あたしの様子を気にしながら、ギュッと、ギュッと力強くあたしを受け止めてくれてるこの腕に、せき止めていた重く苦しかったものが、流れ出していく。



「よくやった」



相変わらずのぶっきらぼうな声が、あたしの身体にこだまする。
朴訥だけど、何よりも誠実な響きを持って、あたしを満たす。
緩やかに伸びていくカノンのように、たゆまない波紋を広げて、―――頭を撫でてくれたあの手の感触を、彼方へ、穏やかに運んでゆく。

「も、かい、言ってくれ」

「お前は、―――よくやった」

ついに息も出来ないほどに抱きしめられて、あたしは、今日命を削って完遂した行動が間違っていなかったことを実感し、ヘドロのように底に溜まった澱が、その波紋にさらわれて浄化されていくのを、確かに感じた。
やがて小さく咳払いをして、訥々と喋りだす。

「おまえが、音楽を弾き続けるのはなぜだ、誰のためだ。
兄貴のためじゃない、お前自身のためだ。
自分をもっと誇れ。どれだけ苦しい思いをしようと、それを乗り越え、あれだけ賞賛を受けるまで昇華させたのは、誰でもない、お前の力だ。
音楽のことはよくわからんが、お前がすごいってことはわかる。
ほら聞けよ、すごい拍手だ、まだ鳴り止まないぞ。あれだけのもの、オレは今まで聞いたことがない。
……オレには、逆立ちしてもマネできん。人の心をこれだけ動かせるおまえは、本当にすごいやつだ。

オレは、おまえの音が、好きだ」

音だけ?  そうつっこもうとしたけど、耳まで真っ赤なこいつをいじめるのは、忍びなくなった。
そして無性に、愛の挨拶を弾きたくなったんだ。
あたしの音を、こいつに届けたい。そう思えたことがあまりにも久々で自分でも驚いた。
記憶の彼方に押しやられていた、懐かしい気持ち。
そんな想いには、もう永久になるまいと思っていたのに、―――あたしの音のありったけを、奏でたかった。
「おまえ、そんな長ゼリフ、しゃべれたんだな」
ぎゅうぎゅうに締め付けられながら、あたしはやっと口を開いた。
そっと腕を上げ、あたしも広い背中を抱きしめる。ああ、なんて心地良いんだろう。
あたしはやつの首もとに顔を埋め、大きく息をついた。
くすぐったかったのか、今更居心地悪そうに身じろぎしながら、あたしの背中を遠慮がちに撫でる。
「ぼ、木刀でも振るかっ。気分が晴れるぞ」
ワンパタだな。まったく、バカ様さまだぜ。
クッとこみ上げる笑いが、あたしに気力を取り戻させた。

そうだな、あたしは自分で選んでこの道を歩いてる。
あたしの花道だ、誰にも邪魔はさせない。


たとえ過去の、自分自身でも。


「そろそろ放してくれよ、アンコールに出てくる。……支えてくれ」
その言葉に慌てて腕をほどきながら、アタフタと立ち上がり、壊れ物でも扱うように、あたしをゆっくりと抱き起こしてくれる。
握りしめた手から、何よりもあたたかくかけがえのない想いが、しっかり伝わってきた。

行ける。あたしは、やれる。



「行ってくる。耳かっぽじって、ちゃんと聴いてろよ」



ニヤリと笑ったあいつに弓を振って、あたしは晴れ晴れとした気持ちでステージを目指した。
身体が、弾きたがってるのがわかる。音が、みなぎる。

この時あたしは、演奏家として、また新しい扉を開けたんだ。














拍手いただけるとガンバレます( ´∀`)



0 件のコメント: