2013/02/10

記憶の迷宮でだきしめて!1


記憶の迷宮でだきしめて! 1





「なんだこの山ザル女はっ! 頭痛がする、不愉快だ、出ていってくれ!」




目の前ではなたれた、信じられないくらい懐かしい言葉。

こんな言葉だけど、あたしにとっちゃ忘れたくても忘れらんない、忘れちゃいけ~ない~(怖いけどデビルマン好きよ)大事な言葉……なんだけど。
言った奴と言われた状況がワルイわ、最悪だわ。
これは悪い夢なのよ、そうよそうなんだわ! 
こらあたし、目の前にたとえ美味しいご飯がなくても、いい加減に起きなさい、目をさますのよっ。
そう思っていくら目をひん剥いてパチパチしてもゴシゴシしても、目の前の美味しいご飯……じゃなかった、白金髪を天使のカーブを描く頬にまつわらせた、おなじみの美貌のこいつが、消えようはずもなかったの。
50歩譲って、『頭痛がする、不愉快だ出てけ』はまだ許容範囲よね、こいつの苦言なんかいちいちマトモに相手してたら、こっちの身がもたない。
100歩譲って、懐かしの山ザル女はーーーまあ思い出のキーワードだし、あとで仕返しするくらいで許してやらないこともないけど。

『なんだこの』って、なに?

なになに、何なの? 

今まで山あり谷ありあれど、どれほどいっしょの時間過ごしてきたと思ってんの?

あたしは驚きと不審で、飛びついた病院の硬いベッドの上で、しばし硬直してしまった。
目の前のシャルルは、痛々しいくらいあちこち包帯をまかれ、自分の置かれている状況にというより、むしろベッドの居心地の悪さの方にイライラしてるみたいだった。
起こした上半身を苛立たしげに動かしながら、ベッドヘッドにしぶしぶ身を預けていたの。
まるでデジャヴ。
ベッドが気に入らないと重症のくせに勝手に退院したり、カークんちの石の寝床に文句つけたり。

そう、”あの頃”のシャルル。

冷ややかで物憂げなオーラを漂わせて、肩で大きく億劫そうに吐息をつく。
次の瞬間、ギラリと底光りするような冷たい視線が、彼をまたいでのしかかってるあたしに、容赦なく注がれた!
「おい、聞こえなかったのか。その頭の悪そうなマヌケ顔からして看護師とも思えんし、たいだいケガ人に無遠慮にのしかかるような馬鹿な手技は、このオレの知る限り、この世に存在しない! 
いい加減どけ!」
こ、この理詰めのキツ~イ言い回しは、相変わらずのシャルルそのもの。
だけどなんかおかしいのよ。

目が、眼差しが、あたしの知ってるシャルルと全然違う!

ゾクリとしたものが背中を流れた途端、やつがシーツを引っ張ったもんだから、あたしはその反動で見事にベッドから転がり落ち、ゴロゴロ転がりながら壁にゴチンと頭をぶっつけた。
だけどそんな痛み感じるヒマもないくらい、あたしのイヤな冷や汗は止まらなかったの。
急いで起き上がってまたベッドにかじりつくと、あからさまに嫌な顔したシャルルの顔に、本気の嫌悪感が浮かんだ。
ままま、まさかあんた、あたしのことわかんないわけ、ないわよね? ね!?

「あいにく一度見たものは忘れない自信はある。そんな世にも珍しい強烈な顔は初めてだ! 

さあ、気がすんだら出て行け!」

にじり寄ったあたしをはねのけて、シャルルはナースコールのボタンを押した。




しゃ、しゃ、シャルルが、とうとう、くるったぁあああああ!!!!!








パニックになったあたしが、駆けつけたお医者さんや看護師さんにシャルルの異常をしつこく言いまくったら、当のシャルル本人に病室からつまみ出されちゃったあ!
おのれシャルル、自分の一大事とも気づかずその態度はなんだっ。
あんたのためを思って動いてやってるのに!
ガチャンと鍵までされちゃって、哀れあたしは廊下に放り出され、その後いっくらドアを押しても引いてもドンドンしても、病室に入れてもらえることはなかった。
こうなったら窓からでも……! とよじ登った所で警備員に捕まり、今度は病院そのものから追い出されちゃったのよぉ! 
わーん何をするのっ、あたしのシャルルのトンデモ一大事なのにっ!
慌てふためいて思いつめた挙句、正面入口のガラスを蹴破ろうとしたところでやってきたアルディの弁護士さんに押さえこまれ、あたしは首根っこつかまえられたまま、再び彼と病院の中に戻れたの。
守衛さんに事情説明してる弁護士の背後からアカンベーして、あたしは脱兎のごとくシャルルの病室に駆け戻った。

「シャルっ」

「入るな! 一歩たりとも入ってみろ、明日の朝日は拝めないと思えよ」

ピシッと言い放たれた久しぶりの絶対零度的発言に、あたしは入り口で凍りついてしまった。
もちろん、言われたこともショックだったけど、何よりもこちらを見ようともしないシャルルの冷えきった表情が、あたしを動けなくさせていたの。




どうしてこんなことになってしまったの。

シャルルは一体、どうなっちまったの!?

















はじめは、なんてことないいつもの一日の始まりだったのよ。

「ーーー乗馬ぁ!? このクソ寒いのになんで馬なんかのんなきゃなんないのよ、イヤよっ。
それに今大事なネームきってるとこなんだから!」
「”大事な”ネームはもういくつめだい? 前の掲載からだいぶ時間があいて焦る気持ちはわかるけどね、そんなしかめっ面して書いたものに読者がついてくるとは思えないよ。
気分転換だと思って、ほら、おいで。
それに前回のレッスンは、馬の機嫌を損ねて、近付くことも出来なかったじゃないか」
「だってあいつアタマにくるのよっ、あたしがせーいっぱい愛想笑いしてやってんのに、歯むいて怒るんだもの」
「マリナが先に彼女のおやつを盗み食いしたからだろう!? まったく馬の餌にまで手を出すなんて、アルディの人間にあるまじき行為だ! いや、人間としての神経を疑うね」
「馬の餌~? 完全有機栽培の、あんなに美味しそうな野菜スティックが厩舎の冷蔵室に入ってりゃ、誰だって人間用だって思うわよっ」
「そんなことを思うのはこの地球上で君ただ1人だ! 確認もせず得体の知れないものを口にすることは、今後一切厳禁とする。
ああ、なぜこんなことまで、成人女性に注意しているんだオレは……」
こめかみをぎりっと動かしながら目をつぶりうなだれるシャルルにアッカンベしたとたん、急にあたしの体が浮き上がった。
驚いて目を見張ると、シャルルに抱え上げられたあたしは、彼の膝の上にちょこんと座らされていたの。
そう、真正面から向き合うような形で。
目の前のちょっと苛立たしげな青灰の瞳が、細かな光を放ちながらあたしをじいっとのぞきこんでいる。

「オレは君に充分な食事はとらせていない?」
は?
「え、う、ううん。そんなこと、ない」
「君が体調を崩したら、悲しむのは誰?」
「うっ、えと、その……、あんた」
「マリナは、オレが悲しんでもいいと思う程度しか、オレを想ってくれていないの?」
「そんなことっ……ないわよ。だって、つい美味しそうだったから思わず止まらなくなっちゃってーーーごめん、シャルル」

下唇を突き出してバツが悪そうにしてるあたしの頭を撫でながら、シャルルは小さく吐息をついた。
「頼むから、むやみによくわからないものを口にする癖を直してほしいね。オレは毎日本当に生きた心地がしない」
優美な面差しにほの暗い影を落としながら力なく微笑むシャルルを見て、あたしははっと思い出した。
馬餌のつまみ食いはさておき、フランスの公人である彼の立場を考えれば、体に入る様々なものにまで、神経を払わなけりゃならないってことを。
そういえば、アルディの長い歴史の講義を夢うつつで聞いた時、毒殺やそれに関することも確か言ってた。
とたんに我に返り、背筋がぞぉおおおっと震えたあたしをギュッと抱きしめて、シャルルはほっぺにキスをくれた。
大きな腕であたしを包み込んで、その広い胸にあたたかく迎え入れて、唇を優しく重ね長い長いキスをくれる。

シャルル流の”コワいのとんでけ”は、効果絶大。

あたしは、自分のあまりにも幼い自覚のなさ加減に自己嫌悪に陥ることもなく、きちんと反省をし、その大事な約束をまた一つ、心のタンスにしまった。

シャルルってほんとスゴいね。

ねえどう? あたしのシャルル、すごいでしょ、ふふ。

心がふんわりふくらむのがわかる。嬉しくて胸がはちきれそう!
あたしはこらえきれずにうふふと笑って、ピョコンとシャルルに頭を下げた。
ごめんなさいっ、あんたに心配かけさせるようなことはなるべくしない! 
失敗したら、また教えてねシャルル?
その言葉を嬉しそうに聞きながら、シャルルはソファーの陰から取り出した何かを、ぼふっとあたしのでっかい頭にかぶせてくれたの。
ふとそれを取り上げ見ると、わあっ!
なんて可愛いアッシュピンクの乗馬帽!
「防弾に使われる新開発の薄型チタンと軽量カーボンを縫い込んだ、最高に安全な乗馬ヘルメットですよマダム。君の大きな頭でもしっかり守れるよう、特注いたしました」
イタズラっこみたいに笑うシャルルをジロリとにらんで、あたしは指先にしっとりと馴染む皮のあまりのすべらかさに、舌を巻いた。
見た感じとてもそんなハイテク要素は感じない程の、シックでエレガントな素敵なシルエット。
それもそのはず、聞くとなんとエルメスと共同開発したんですって! ひゃああ!
そして気づいてしまった。

その帽子の縁に『Marina de Hardie』って、青灰色の美しい刺繍がされているのを。

感激して溢れそうになる想いをなだめながら吐息をつき、もう一度優しく感謝のキスをしてーーーあたしたちは連れ立って厩舎へと向かい……



あの事故がおきたの。
















まだ不慣れなあたしを前に乗せ、おっかなびっくりのタンデムで、ギャロップしてた時のこと。

あたしが操る手綱を後ろから逐一口出ししながら、シャルルは時折楽しそうに微笑んでた。
12月のパリの空気はピンと冷えてたけど、そんなシャルルの周囲だけは、華やかなムードにあふれてる。
冬とシャルルって、なんてお似合いなんだろう。
しっとりと密やかで真っ白で、冷たく厳しいんだけどどこか優しい。
口元から白い息をこぼしながら話すシャルルを、少し振り返りながら見上げるように盗み見る。
今だって、仕事の合間をぬってわざわざあたしのところに来てくれたのも、ちゃんとわかってるわよ。
しばらく作業デスクにかじり付いてうなってたの、心配してくれたのよね。
ありがと、シャルル。
背中に感じる温もりと絶対の安心感、高い馬上から遥か見渡す冬景色の壮観さに、ネタにつまってイライラしてたあたしの胸の中身は、思いのほかキレイサッパリ洗い流されてた。

「ーーーシャルル! 気持ちいいねっ」

「だろう? これが冬の乗馬の醍醐味さ。君に教えたかったんだ」

「でもやっぱ、さむいさむい寒ーーい!!」

「フフ、カプサイシンパウダー入りの熱いジャグジーも用意してあるよ。……一緒に入ろうか」

耳元でゾクリとするくらい色っぽい声がして、あたしがひゃあっとなった瞬間、目の前に何やら黒い固まりがいきなり落ちてきたのよ、ボトッて!
ぎゃあっと叫んだ拍子に、あたしは手綱を思い切り引いて、馬の腹をしこたま蹴っちゃった!!
突然の衝撃にパニックになった馬は、いななきながら大きく前脚を振り上げ、天に駆け出さんばかりに立ち上がった!

「落ち着けマリナ、ただのリスだ!」

リス!?
体勢を大きく崩し、馬上から振り落とされたあたしの耳に、そんなシャルルの叫び声が聞こえた。
瞬間視線を巡らせると、確かに冬眠中と思われるカチカチに丸まったリスが、地面に転がっていたの!
頭上にあるのは、大きなもみの木。
何かの拍子で巣穴から落ちちゃったのね、きっと。

このドジリスっ、あんたら埋めた木の実の場所も忘れるおバカさかげんで、玄関ドアに鍵も忘れたのかーーー!

ぎゃああああっ、馬にもシートベルトつけろー!

これが走馬灯かと、永遠の時間を感じならが、あたしは真っ逆さまに地面に叩きつけられることを覚悟し、ギュッと目を閉じた。
次いで激しい衝撃を身体に感じたけど、ーーーどうしたことか、それほど痛くない。
雪なんかまだ積もっちゃいないのに、はて?
そう頭を過ぎったけど、この身体にきつく絡みつく圧迫感!





「ーーーっ、シャルルぅ!!」





シャルルはあたしをかばって、代わりに地面に叩きつけられたのだ。

彼をクッションにし、かすり傷ですんだあたしは急いでシャルルの上からどき、ぐったりと倒れ込んだ彼の様子をすばやく観察した。
一見外傷は……と視線を上にもってくると、ぎゃああ! 色違いのお揃いの乗馬ヘルメットから、地面へとにじみ出している暗赤色!!!

大変大変っ、どうしよう!?

一瞬すうっと血の気が引き、パニックになりそうだったけど、冷えたシャルルの指先が触れ、あたしは正気を取り戻した。
頭の傷は、動かしちゃだめ。
周りには誰も、いない!!
くっそ、ほんとに無駄に広い家なんだからっ!
あたしは、シャルルのジャケットをごそごそ探し携帯をひっつかむと、執事室に緊急連絡をいれた。

「大変なの、シャルルがっ、馬から落ちちゃった! 

頭から血が出て意識もないわっ、急いで救急車、消防車っ、ドクターヘリよこしてちょうだーい!」

喉から血が出るほどに叫んで、あたしは自分の着ていたダウンを脱いで急いでシャルルの身体にかけた。
冷えた手を必死にこすって暖め、あらん限りの声を張り上げた。

「しっかりしてシャルル! 今救急車呼んだからっ、がんばってシャルルっ!!」

重なる手の甲に、こぼれた涙と舞い降りた白い雪のかけらが混じり合い溶けていった。
ずっと泣きそうだった冬のパリの曇り空から、横たわるシャルルの上に、今年初めての雪が降る。
楽しみだった初雪が、皮肉にもこんな形であたしたちに冬の洗礼を届ける。
あたしはぎりと奥歯を噛み締めて、ぐいと顔を上げ暗い雪空に祈ったの。

ごめんね、ごめんねシャルルっ。
もう馬のおやつも盗み食いしません、乗馬のレッスンだってサボらないっ、ああだからお願いエルメス!
シャルルのスーパー頭脳を、命を、どうかどうか守ってね!






そして事態は、山ザル女に急展開となるわけなの……とっほっほ。

















それからしばらく、彼に会えない時間が続いた。
頭にきて何度も病室への侵入を試みたけど、アリの子一匹、マリナさん1人、入る隙はなかった、うう。
ジリジリしながら病院のまわりをうろつくそんなあたしに、ジルが逐一、シャルルの容態を教えてくれていた。
検査で小さな血のかたまりが所々見つかり、そのせいで記憶が一時混乱しているんじゃないかってことを。
それ自体はすぐに安全に完璧に取り除けたらしいけど、記憶の回復はわからない、とのこと。

だってーーー、あたし以外のことは全部覚えてるんですって!

なぜかあたしのことだけ、キレイさっぱり爪の先ほども覚えてないなんてっ、一体全体どーゆうことよ!
でも、シャルルの命が助かっただけでも、よしとしなきゃ……なんてしおらしいこと言うかっ。
わーん神さまの、エルメスのイジワルーっ。
あたしは病院の裏路地でわんわん泣きわめいた。
そういえば、かつて和矢も、なぜかあたしだけを忘れたことがある。
なんなのあんたら、そんなにあたしを忘れたいっての!?
そこまで考えて、あたしははっとした。
和矢のパターンからすると次は!

「っ、シャルルぅ!」

あたしは隙を見て病院内にかけこみ、シャルルがいる個室に飛び込む……ああああああ!
そこはモヌケのからで、看護師さんがベットメイクをして、次の患者に備えて準備してた。
や、やっぱり、消えたじゃないっ。
ペタンと脱力しへたりこんだあたしの背後から、ジルが息を切らせて追いついてきた。
「マ、マリナさんたら、急に駆け出すんですもの。
シャルルは、今朝方病院と交渉し、屋敷に治療の場を移したんですよ。だからもうここにはいません、と言おうと……」
えええ!?
あたしは飛び起きると急いでジルを引きずって、屋敷へととって返したの。





「シャルルは今、地下のデータルームにいるそうです。
彼は自分の身に何かあった時のために、行動情報のバックアップを常にとっているのです。もちろんそこには、マリナさんとの生活の様子も、あるはずです。
ーーーきっと大丈夫。
シャルルを信じてあげてください、マリナさん」

廊下の隅でうずくまるあたしに優しく語りかけながら、ジルは自分の着ていたカーディガンを、そっと、羽織らせてくれた。
屋敷に帰ったとたん力が抜けて、へたり込んでからもうずいぶん経つ。
こうしていても仕方ないんだけど、今のあたしにやれることは、待つことと祈ることしかないのが悔しかった。
でもジルの優しい言葉に覚悟を決め、ぬんと顔を上げ、ずずっと鼻をすすりながら立ち上がり、心配そうな彼女にお礼を言う。
ゴメンね、いつもいつも、心配ばっかりかけて。
こんなことくらいで、へこたれるもんですか!
イザとなったら、あたしのデカイ頭で頭突きでもして、無理やりでもアイツの記憶を呼び戻してやるんだからっ。
そんなあたしを見つめて淡く微笑むジルは、昔のシャルルを思い出させて、胸がチクリとする。
大人になっても、やっぱりどこか面影が残ってる、よく似てる。
あんまり見てるとまた泣いちゃいそうな気がして、あたしは一発ほっぺをはたいてから、自分を鼓舞するように足音も高らかに、データルームへと向かった。



と、鼻息荒く来てはみたものの、その扉は、思いのほか高圧的で、あたしの前に立ちはだかっていた。
固く閉ざされた扉の向こうで、今あたしたちの運命が、決まろうとしている。
あいつの奇妙キテレツつっけんどんな態度なんて、昔は何とも思わなかったのに、今は冷たい横顔ひとつが、針で刺されたように痛い。
なんでかしら? あたし、弱くなっちゃったのかなあ。
おもぉい吐息を足元に落としつつ、ウジウジとドアの表面にのの字を描いていたその時、いきなりそれが開いて、シャルルにくらわすハズだった頭突きを、かた~い鉛の表面にぶちかましてしまったの。

「ぎゃ! アイタタタ~っ、んもう、なんなのよぉ」

勢いでひっくり返ったあたしが痛む頭を押さえながら前を向くと、同じようにビックリしたような硬い表情のシャルルが、入り口のところに呆然と突っ立っていたの。
あたしたちは、しばらく身じろぎもしないで、お互いにらめっこしてた。

だって、あんまりにも痛くてビックリしてっ! 
……シャルルの、硬く冷えた思い悩んだような表情が、怖かったんだもの。

僅かに眉根を寄せて、苦々しげに床に転がるあたしに視線を向けるシャルル。
あたしはそれを見て、彼にしては奇妙な表情だなって思ったの。
だって今まで、どんなことにだって挑むような挑戦的な顔してたシャルルなのに。

これってーーーああ、これって、戸惑ってる顔なんだわ。

懐疑的で不信感がにじんでて……何に?

キョロキョロと周りを見渡したけど、どう見ても彼の視線は、無様にひっくり返ってるあたしに注がれてる。
ひょっとして、ひょっとしなくても、あたし!?
瞬間的に、このデータルームとやらにたまってた、今までのあたしたちの軌跡は、奇跡なんか起こしてくれなかったんだってことが、わかってしまった。
ショックを受けているあたしなんかお構いなしで、シャルルは足音も立てずに、床に転がる女の子に手すら差し伸べず、相変わらずの美プロポーションを翻し、さっさと立ち去ってしまったの!

懐かしいシャルルの残り香が消える瞬間、あたしの目から、ぼろっと大粒の涙がこぼれ落ちた。

ガマン出来ずに、そのままわっと床に伏せて、おいおいと泣き続けた。
どうしようもなくて、苦しくて苦しくて、あたしはぽとぽととこぼれ落ちる涙をそのままに立ち上がり、近くの部屋に倒れこむように入ると、そこにあった電話に近寄った。
受話器を取り、震える指で、まだ覚えてる懐かしいあの番号を押す。
困った時には必ず浮かぶ、あたしとシャルルの大切な友達ーーー和矢、彼の助けを借りようと思って。

『ーーーマリナ!? 久しぶりだな、元気だったか?』

何度目かのコールののち、耳に染み入るあの優しい声が、あたしの緊張をみるみるほどいていく。
さすがに大人になった今、冷静にシャルルの顛末を相談しようと思ってたあたしだったのに、その響きがあんまりにもしょげきった心に染みて、そのもくろみなんかもう、お豆腐みたいにグズグズと崩れていっちゃった。



「ガ……っ、ガズ、あどね、ーーーじゃ、じゃるるがっ、ジャルルがね!」



再び溢れだした洪水みたいな涙と鼻水が邪魔して、何を言ってるのかわからないような有様なのに、和矢はシャルルの命に別状がないのだけ確認して、頼もしい言葉をすぐにくれた。
『アルディの屋敷にいるんだよな? すぐに行く。今ロンドンだから……』
そこまで言って、何やら早口の英語を遠くに投げかけながら、誰かと交渉してる様子が、受話器越しに感じ取れた。
『オッケ、友達がルートンからセスナ飛ばしてくれるってさ。でもノエル時期だからなぁ。それでも3時間くらいで行けるはずだ。飯でも食って、待ってろよ!』
あたしの返事も待たずにあっという間に電話は切れ、はっと我に返ったあたしは、しばし受話器を握りしめたままぼう然としてたの。

和矢が、来てくれる。しかもすぐに! 

きっと大丈夫よね。どんな時だって和矢はシャルルのことを一番に考えて、助けてくれてた。だから大丈夫よね。

ぐいっと涙を拭いたとたん、グググ~と盛大に腹の虫が騒ぎ出して、あたしは今日何も食べていなかったことを思い出した。
和矢が来るまでにしっかり腹ごしらえしといて、あのワカランチンとの対決に備えないと!
あたしは受話器をほっぽり出して、一目散に厨房目指してかけ出した。












「和矢ーーー!? どうしたんだ急に」

「ロンドンにいたから、ついでさ。馬から落ちたっていう、ドジな親友の顔が見たくなってな」

穏やかに旧交をあたためあうその様子は、まるで何事もなかったかのような、幼馴染の再会そのものだった。
そうっ、それは初めてシャルルに会った、昔ムカシの迷宮事件のシーン再来! て感じ。
今はあたしの出番はサッパリないんだけどさ、フンッだ。
だけど、あの時みたいなヨレヨレジーンズなんか履いてない、すっかり大人になった和矢は、サヴィル・ロウのスーツを軽やかに着こなして、なんかもうすっごいステキなの!
隣の続き部屋のドア影から盗み見してたあたしは、ゴックンと息をのみ、こんなことさえなけりゃすぐさまスケッチさせてもらうのにと、ギリギリと爪を立てたものよ!
それはさておき、ジルから聞かされた現状を整理すると、シャルルは何があったのかは、理解してるらしいの。
そんで頭の事故だから、大事をとって、しばらく仕事はお休みすることにしたんだって。
肝心の記憶は、生活や業務一般、その他個人的なことは完璧に覚えてるのに……どうしたことか、やっぱりあたしのことだけが、綺麗サッパリきっちり、抜け落ちているらしい……うっうっう。
部屋着にゆったりとガウンを羽織り、寝ていた長椅子から優雅に身を起こすと、シャルルは和矢と向きあうように正面を向こうとした。
「いいって、そのままでいろよ。どうだ具合は」
「フンーーーマヌケな親友殿作の論文の、マヌケなデータミスを見つけるくらいはやれるぜ。例え馬から落ちてもな」
言われた皮肉をキッチリ返すように、ニヤリと笑って科学雑誌らしきものをテーブルに投げ出したシャルルは、尊大に足を組み替えた。
途端に血相を変えた和矢は、雑誌をテーブルからさらうと、何やら小難しい議論をおっぱじめちゃったの。
んーもうっ、今はンなことどうでもいいでしょお!
イライラして思わず身を乗り出しちゃったその拍子に、隠れてたドアが開いちゃった!
げっ!
そのままゴロリンと二人のいる部屋に転げ出ちゃって、バツが悪くて頭をカキカキ、ついでに冷や汗もかきかき、あたしは白々しい愛想笑いをするしかなかった。
「あはは、おじゃましま~す……なんちゃって」
そんなあたしを観察するような目で見て、和矢は立てた親指で、くいとあたしを指さした。
「駄目か?」
「ーーー個性的で強烈な顔だ。サル、というよりロリスやガラゴのような、マヌケな表情をしている」
ムッカー! あたしゃ生理用品でも(それロリエね byぷ)、窓クリーナーでも(それガラコw byぷ)ないわよっ。
図鑑でも見るみたいに無表情に、シャルルはジダンダを踏むあたしから、やがてぷいと顔を背けた。
肝心の頼みの綱である和矢は、下を向いてクックと肩を揺すって笑ってる~!
「しばらく世話になるぜ。頭がしっかりしてるなら、論文の追加記事の添削でも手伝ってもらうかな」
ひとしきり笑って、和矢は相変わらずのくせ毛を少し揺らして、優しげにシャルルを見つめた。
軽口叩いてるけど、あたしとシャルルのことを心配して言ってくれてるのは明白だったの。
あたしはその申し出にハレバレと頷いたけど、反対にシャルルは浮かない顔だった。
優美な表情を歪め一度息をのんで、だけど言おうとした何かの代わりに重い吐息をつき、青灰色の瞳を閉じちゃった。



「勝手にしろ」







こうしてあたしは、和矢という味方を得たものの、心にぽっかり大穴を開けたまま、記憶というとてつもない迷宮の中で、苦しい試練の日々を送ることになったのだったーーー。














・・・To Be Continued・・・


この作品のリクエスターは嶌子さんです リクエストありがとう! 
連休中に全4話、再あっぷねらってますwww ・・・・・・異常事態がなにもなければっっ(^_^;)


しばらく続きマス☆お付き合いクダサイませーーーーーーLPDUnderぷるぷる





拍手いただけるとガンバレます( ´∀`)



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